【わたしは わたしの みちをゆこう】
今日、facebookの【過去のこの日】を見返してたら、4年前のわたしが、こんな投稿をしてました。
4年前のわたしは、悩みの最中(さなか)におりまして。。
6~4年前のわたしは、結構な勢いで突っ走っていて、それは壮大な逃げだったなぁ、と、今は感じているのですが、その当時のわたしはその事から目を伏せていた、逃げている、という感じでなく、とにかくがむしゃらに目の前にあるものに飛び込んでいったあげくに疲れ、酒に酔った勢いでSNSにいろんなことを投稿する、という、かなりの痛い子状態でした。。
そんなわたしに対して、「あんまり酷いからfacebookのフォロー外させてもらった」という、友人からの客観的にわたしを見た上での意見をいただいたのですが、当時のわたしには、その意見を客観的に受け取ることが出来ず、、
『わたし、否定されているんだわ。。』
と、勝手に傷ついて、その友人を悪者にして、勝手に拗らせ状態に陥って、この投稿に至ったわけです。
で、その投稿に対して、2年後のわたしが、さらにこんなことを投稿していました。
4~2年前の間にも、いろんなことがあったのですが、この期間中に、4年前よりもさらに深く深ーいところをグサリと突き刺されるようなことを、ある人から指摘されました。
それは、相手からの本気の怒りの感情からやって来るものでした。
そして、その怒りは、人の目ばかりを気にして、わたしがわたしを蔑ろにしていることに対しての現れから起こったことへ対しての、愛ある怒りでした。
その経験から、本当の意味での【ひととじぶんはちがう】ということを体感し、それまで外へ外へとばかり向いていたわたしの視点は、徐々に自分の内側へ向かうようになっていきました。
そして、さらに2年が経過した、2018年2月26日の今日。
この4年間を懐かしく思い出しながら、このブログを書いています。
2年前から今日までで変化したと思うことは、、
【ひととじぶんがちがう】ということを客観視した上で、じぶんの願いに耳を傾けるようになってきたこと、そして、その願いを叶えるべく、ひとに対してじぶんの意見を伝えられるようにしているところです。
知らず知らずのうちに抱えていたのは
【じぶんを出すと嫌われる】
という、勝手な思い込み。
でも、じぶんを出さずに我慢することが出来なくなってきたのもあるし、じぶんを出さずにいることのほうが相手を不快にさせる、ということを経験できたから。
いいことも悪いことも、いろんなことを経験して、いまのわたしがいる。
だから、これからも、ひととじぶんの違いを楽しみながら、
【わたしは わたしの みちをゆこう】